福島原発事故の反省と原子力科学の中興

2011年3月11日 の東日本大地震と、それに伴って起こった福島原発事故は、先進的で高度に成長した日本社会の脆弱な体質を露呈するものであった。福島原発事故は、核エネル ギーの解放という人類の歴史の中で輝く科学の成果が多数の被害者を生み日本の社会を混乱させる大事件であった。ヒロシマ・ナガサキの原爆が科学の軍事利用 であったのに対し、フクシマの原発事故は、科学の平和利用を政財界主導で進めた経済優先政策の失策であった。

科学と社会の接点における問題に注目する「アルスの会」[1]では、事件の真因を探り将来への道を考えるため 3.11の年の夏からおよそ1年半にわたって議論を重ねてきた[2]。福島の事故については、政界•言論界をはじめとする多くの個人や団体に依る評論がテレビ•新聞に、或いは各種出版物に発表されてきた。そして、民間・国会・政府・東電による事故調査活動が進み報告書にまとめられた[3]。 これらは、事故原因についてそれぞれの組織を活かした詳細な報告であり、多くのことを明らかにして、今後の指針を提示するものとなっているが、「アルスの 会」の議論はもっと高い視点にたち、もっと広い視野をもって、真因を追求することを心がけてきた。事故における個々の問題点を分析することの大切さは言う までもないが、事故の真因を知り未来を考えるには歴史的背景を理解することも大切である。

フクシマ事故は東日本大地震による津波によって惹き起こされたものであるが、これは“天災”ではなく“人災”であったと誰もが理解し、国会事故調査委員会も報告書の冒頭にそう指摘している。しかし、“人災”と一言に決めつけてもその要素を明らかにすべきである。

わが国の原子力開発の歴史まで遡って考察を深めていくと、この福島の事件は太平洋戦争の後、日本の社会に築かれてきた社会政治、社会体制、社会心理、の総決算という印象が強く浮かんできた。地震の直後、石原慎太郎東京都知事が「天罰である」と喝破した’こころ’が見えてきた[4]。勿論、被災者の気持ちを考えると許し難い暴言であると受けとられ石原知事も謝罪されたが、戦後、無反省に歩んできた脆弱な日本社会の姿を事件の中に見る気持ちがする。日本社会が、そこに気づいて改心することを求める”天罰”であった。「アルスの会」が重ねた討論を総括すると[2]、4つの事故調査の結果に加え、さらに過去半世紀の原子力政策の反省を重ねると、戦後の日本社会の問題点を浮き彫りにするような結果となった。以下に「アルスの会」の討論で論じてきた問題点を紹介し[2]、次世代を担う若手に向けたアピールをまとめる。

目次

( I )原子力科学半世紀の総括

1. 原子核研究の復興:研究者主導の体制の確立
2. 原子力平和利用研究推進に関わる論争
3. 原子核と原子力の乖離
4. 国策としての原子力開発:政財界主導の事業
5. 動力炉導入政策における自主.民主.公開の努力の行くえ
6. 米国の技術力の低下とそれを補う日本の技術力
7. 菊池正士先生の警告:「シビアアクシデント」の恐ろしさ
8. 使用済み核燃料ほか核廃棄物の処分:「シビアマター」
9. 経済原理優先による安全対策の欠如
10. 官僚支配で形骸化した民主主義の姿
11. 安全は規制・監視・点検・管理で護れるか?
12. 人材の育成と活用
13. ゼロリスク希求の社会心理
14. 信頼感を育てる教育の原点,「絆」
15. 世論形成におけるマスメディアの責任
16. 政財界主導の国策の危うさ
17. 原子力科学の中興を
文献

(II) 原子力科学:平成の中興に向けて

1. 原子力の原点:核エネルギー解放の意義
2. 原子力の次の課題:原子炉の安全性
3. 原子力の未来への期待:エネルギー問題から離れて
(未完)

(III) アルスの提言

(未完)

[ 文 献 ]

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